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2017年5月30日 (火)

死に至る内部被ばく-5.13第36回被ばく学習会報告・その2

 2017年5月13日の第36回被ばく学習会「内部被ばくはこうして隠された」で、ヒロシマ・ナガサキ、ビキニの内部被ばくの科学的事実について、温品が報告しました。

 動画はこちら
 資料はこちら

入市被爆者も、毛がごっそり抜け、紫斑が出て、死亡
 Hida_2 最初に、入市被爆者の内部被ばくについて、ヒロシマで被爆者の治療にあたられた肥田舜太郎さんの証言を、「内部被ばくを生き抜く(鎌仲ひとみ監督)」特典映像で聞きました。
 「ピカに会った(直接被爆した)」人々は、粘膜からの出血、高熱、口の中の腐敗・悪臭、紫斑、ごそっと脱毛など、放射線被爆の急性症状を示して次々に亡くなりました。
 原爆投下時には広島市内におらず、1週間後、1ヶ月後などに市内に入った「入市被爆者」も、同様の急性症状を示し、亡くなっていったそうです。「死の灰」の放射能を体内に取り込んだ内部被ばくによる死亡です。

外部被爆は1mSv未満でも、内部被ばくで急性症状
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 内部被ばくによる急性症状は、広島の於保(おぼ)医師の調査でも裏付けられています。上図の大部分、線で結ばれた点は、爆心地からそれぞれの距離で屋内被爆した方々の、急性症状発症率を示しています。観察した急性症状は、下痢、紫斑、脱毛の3種類です。 
 下痢は爆心地から5キロも離れた地点で被爆した方でも20%に発症しています。ヒロシマの場合、爆心地から3~3.5キロで外部被爆線量1mSvと推定されています。
 上図右端の4点は、入市被爆者の急性症状発症率です。入市被爆者の約37%が下痢になっています。
(学習会で配付・映写した資料ではこの図のタイトルが「入市被爆者の急性症状」となっていました。表示されているデータの大部分は屋内被爆者なので、正しいタイトルは「急性症状の発症率」です。お詫びして訂正いたします。)

放射性微粒子の正体は
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 内部被ばくは放射性微粒子の吸入などによるものでした。
  大滝慈(めぐ)・広島大教授らは、8月6日に入市した陸軍幹部候補生のうち、粉じんを吸い込んだ兵士の発がん率が高いことを明らかにしています。
 「原爆炸裂後の爆心地付近では土埃で太陽光が遮断され暗闇になったとの多数の報告がある」そうです。大滝教授らは、家屋の土壁や、屋根瓦の下に敷かれていた粘土のマンガン、アルミニウムが原爆の中性子で放射化され放射性微粒子となって衝撃波と爆風で舞い上がって飛散したと推定しています。
 放射化されて生じたアルミニウム28の半減期は2.2分、マンガン56の半減期は26時間です。肥田さんの証言に、8月6日の1週間後に入市し、急性症状を呈した女性の話があるので、他の核種も内部被ばくに関与していると思われます。

内部被ばくの線量推定
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 内部被ばの線量はどのくらいだったのでしょうか。
 上の表のように、さまざまな方法で調査され、300mSv~1500mSvと推定されています。

実証されたプルトニウムによる内部被ばく

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 肺などの組織標本のオートラジオグラフィーで乳剤中の飛跡の長さから、アルファ線のエネルギーが分かります。
 長崎大学の七条和子らは、長崎で急性被爆し死亡した症例の肺、腎、骨などの組織標本に、プルトニウム239が存在していることを確認しています。

「死の灰」の怖さを痛感させたビキニ実験
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 ヒロシマ・ナガサキで目立ったのは、熱線と爆風、放射線の急性被爆による被害でした。
 「死の灰」の怖さが初めて痛感されたのは、1954年3月1日のビキニ水爆実験でした。

原爆と水爆
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 原爆が核分裂によるエネルギーを利用しているのに対し、水爆は重水素と三重水素(トリチウム)の核融合によるエネルギーを利用しています。
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ビキニ「ブラボー」実験
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ビキニ「ブラボー」水爆実験の動画はこちら

 1954年3月1日、マーシャル共和国ビキニ環礁で行われた水爆実験は「ブラボー」実験と呼ばれました。米軍の計画では爆発力は6メガトンでしたが、実際は15メガトンでした。その結果、第五福竜丸が被爆する羽目に陥ったのです。
悪魔の光(「ビキニ事件の表と裏」大石又七著 より)
 (午前4時頃)「サア-」と夕焼け色が空いっぱいに流れた。
 驚いて外に飛び出すと、右の地平線から左の地平線まで、空も海も船もその色にそまっている。そして、その色が消えないのだ。
 2、3分してその光は消えた。
 (7,8分後)大音響が海底から突き上げてきた。「ドドドドドー、ゴー」海面を伝わってくる爆発音ではない、地鳴りだ。足元を震わすごう音が、海全体を包み込んで下から突き上げてきたのだ。
 12、3分が過ぎたと思う。空は明るくなり、光が出ていた西の水平線を見ると、そこには入道雲を5つ、6つ重ねたような巨大なキノコ雲が空を突いていた。

死の灰(「ビキニ事件の表と裏」大石又七著 より)

 2時間ほどが過ぎただろうか、白い物が空からぱらぱらと降り始めた。
 ちょうどみぞれが降ってきたという感じだった。
 やがて風を伴い、雨も少し交じってたくさん吹き付けてきた。
 みんな目を真っ赤にして、こすりながら作業をした。水中眼鏡をかけている者もいた。鉢巻きをした者は頭の上に白く積もらせ、デッキの上には足跡がついた。
 唇につくものを舐めてみると、溶けないで砂を舐めているようにジャリジャリして固い。
 白い灰はとぎれることなく降り続いた。
 6時間ほどかかってようやく縄(はえ縄)を揚げ終えた。灰も最後まで降り続いていた。
 体やデッキに積もった灰を海水で洗い流し、隠れるように船室にもぐり込んだ。

被ばくした船員たち

 ・3月1日、「白い粉」を全身に浴びながら作業

 ・灰を浴びた全乗組員(23名)は人によって多少の差はあったが、いずれもその日の夕方から身体に異常を覚え始めた。しかも乗組員はそれより焼津に帰港するまでの約2週間、船内にあって体外より強い放射線の照射を受け、皮膚表面に放射性物質が附着し、さらに飲食呼吸によって体内にまで放射性物質が侵入したのであった。
・その結果、皮膚には主としてβ線によるやけどや脱毛を起こし、骨髄その他は体外よりのγ線や体内に沈着した放射性物質の放射線による障害を受け、かくして全員が不幸にも『放射能症』にかかったのであった。
 (『ビキニの灰の分析メモ」木村健一郎 より)

・3月14日、焼津港に入港。焼津共立病院で「原爆症」と診断されました。

・第五福竜丸の甲板から、強い放射能を検出

・乗組員の体から、放射能測定器の針が振り切れるほどの反応

白血球の減少

 3月⒖日、皮膚症状、白血球減少のひどい船員二人が東大病院に移送され、「放射能症」と診断されました。
 その後も白血球減少が続き、3月28日には全員が東京の病院に転院しました。(以上、「ビキニ水爆被災事件の真相」安斎育郎・監修)

 「だるさがひどく、白血球の数も3千、2セント下がり始め、体に力が入らなくなってきた。千を割って、百大になった者もいた。」(「死の灰を背負って」大石又七)。

久保山さんの死
 
久保山愛吉さんは白血球減少症で輸血を繰り返していましたが、6月ごろから黄だんの症状を示し、9月23日、亡くなりました。40歳でした。
 各臓器の放射能を調べた結果、骨に集まるとされている
ストロンチウムが、肝臓にも集まっていたことが明らかになりました。
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 上の表にセシウムが出てこないのは、放射能測定用の試料を作る過程の灰化で消失した可能性があるということです。

乗組員の死亡相次ぐ
 1975年には二人目の船員が肝硬変で死亡。47歳の若さでした。
 その後も乗組員の「早すぎる死」が続き、2013年10月現在、乗組員23人中16人が亡くなっていたそうです。
 肝硬変、肝臓がんがおおく、輸血で感染したウイルス性肝炎が原因とされています。
被ばく線量の推定
 
第五福竜丸の入港後、船体各部の線量減衰状況と、各人の居た場所の聞き取りから、外部被ばく線量は1.6~7シーベルトと推定されました。

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 被ばくしたマグロ漁船・貨物船乗組員で今まで生き残った人の染色体異常率からは、平均91mSv、最大 295mSvと推定されています。 

 (「元船員らの被ばくを追う」より)

死の灰の放射能

 死の灰は直径0.1ミリ程度。サンゴ礁のかけらでした。

 その放射能は1.4キュリー/グラムで、1キログラム当たり50兆ベクレルを超えるほど強力なものでした3月1日午前7時換算)

 その放射能からウラン237が検出され、この時の核実験が原爆ではないことが明らかになりました。
 「燃えないウラン238」に水爆の早い中性子が当たると、
ウラン237とつの2中性子ができます。ウラン237は他のウラン同位体と違ってβ線を出すので、ガイガーカウンターでも検出できました。半減期は6.7日です。

ガイガーカウンターで分かるほど、魚が汚染されていた

 3月14日、焼津の魚市場でマグロなど9.4トンが競売にかけられ、東京、大阪、神戸などへ出荷されました。

 3月17日、第五福竜丸や魚市場に残っていたマグロをガイガーカウンターで測定すると2,000cpm(1分当たりのカウント)。バックグラウンドは20cpmでしたから、その100倍です。
 現在のバックグラウンドは約0.04μSv/hですから、マグロに測定器を向けたら4μSv/hだった、ということです。

 3月30日、厚生省が決めた検査基準は、人体は500cpm以上の場合、精密検査。 2,000cpm以上の船体は「専門家の意見を聞き、処分」。10センチ離れて100cpm以上の漁獲物は、汚染物として廃棄処理する、というものでした。

 全国18漁港で廃棄魚類492トン、魚を廃棄した船856隻に及びました。

俊鶻丸の派遣

 1954年4月、農林省水産庁が海洋調査を決定しました。米国に補償を迫るためデータを集めることが目的でした。
 研究者を乗せた調査船・俊鶻丸(しゅんこつまる)は5月15日に出航し、5月30日、31日、ビキニ環礁の1000キロ東の海水から、毎分146cpm、450cpmを検出しました。これは「想定外」の大発見でした。
 水爆実験で飛散した膨大な放射能も、太平洋の海水で薄められるとの予想の下、ストローズ・米原子力委員長は「実験場のごく近くをのぞいては、ビキニ海域の海水には放射能はない」と言っていたのです。
 実際は、海の表面から50~100メートルまでは暖かく比重の小さい海水で、下の海水とは混じり合いにくいのです。

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 そのため、ビキニ環礁周辺では、上の図に見られるように、経度で20度にもわたる広範囲の海水が11Bq/Lを超える汚染を示していました。
 ちなみに、海水の放射能は通常、せいぜい1ミリベクレル/L程度です。

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汚染魚に最多の放射性核種は亜鉛65

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 亜鉛65なんて、聞いたことがないですよね。

 それもそのはず、核分裂ではできない核種なので、原発事故では登場しないのです。
 水爆の金属に含まれる亜鉛64(非放射性)に早い中性子が当たると、亜鉛65ができます。半減期は244日で、崩壊して銅65になるときに
γ線を出します

そのγ線のエネルギーは1,116KeV。セシウム137の約2倍です。

 魚の亜鉛濃度は海水中の1万倍。人間にとっても亜鉛は必須ミネラルですが、魚は亜鉛をどんどん取り込みます。

 取り込む臓器は、上の図にあるように、脾臓、腎臓、肝臓などです。

 (図の横軸にあるc/mはcpmと同じです。)

マーシャル共和国・「核の難民」たち

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 ビキニ環礁の近くにはマーシャル共和国の多くの島があります。

 東隣・ロンゲラップ島の住民は、1946年から、米国の核実験の度にラエ島に強制避難させられてきました。

 ところが1954年3月1日の「ブラボー」実験の時は、1週間ほど前に米国軍人がやってきて、「1週間後にいままでの100倍の爆弾のテストをする。米政府からの命令がないので、避難はなし。」と伝えました。

 1980年のブルックヘブン米国立研究所の推定では、住民の外部被ばく線量は1.9シーベルト。甲状腺の(等価)線量は9歳児で20シーベルト、1歳児は50シーベルトに達しています。(「核の海の証言」山下正寿 138-141頁)

 ・1954年3月、ロンゲラップ島民はクエゼリンの基地に隔離され、3ヶ月間「治療」を受けましたが、水で体を洗うだけでした。

 その後、マジェロ環礁エジット島で「定期検査」を受け、その結果が「コナード報告」としてまとめられています。

 ・1957年、米国は除染もしないでロンゲラップ島への帰還を許可しました。
住民によると「アメリカは住んでも大丈夫と言ったが、島でとれるエビを食べると吐いたり、裸足で歩くと足がしびれたりした」そうです。l

 流産・死産、異常児の出産が続くようになり、1985年、ロンゲラップ島民325名が「島を捨て」、クエゼリンへ。


 ・被ばくし、故郷に帰れない「
核の難民」となった島民は、ほとんどが甲状腺摘出手術を受け、がん死が多いということです。

(「核の海の証言」山下正寿 142-146頁、「還らざる楽園」島田興生 215頁 より)

5.13学習会報告その3は工事中です

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